20201106 天声人語 木枯らし1号
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天声人语 11/6 木枯らし1号
木の葉の色づきにも順番があって、毎日街路樹(がいろじゅ)を眺めていると、紅葉のリレーのようだ。サクラの葉が散ったと思うと、ハナミズキの葉がワインレッドに染まっている。その木も寂しくなった今はイチョウの黄色に目を奪われる▼
树叶染色也有其自身的顺序。每天眺望街道两旁的树木,宛如红叶的接力。樱花树叶一散,四照花的叶子便染上了酒红。如今,银杏的金黄夺人瞩目,衬得萧疏的四照花都失了颜色。
絵のように美しい。口をついて出てくる紋切り型(もんきりがた)の表現に真理がある。画家たちが切り取りそうな、そんな一瞬を目にした幸福である。東山魁夷(ひがしやまかいい)が画集に添えた文で、晴れた日の紅葉の鮮やかさを述べたあとに、こう続けていた▼
“美如画卷”这种千篇一律的赞美的确有它的道理。能亲眼看见连画家都想勾勒的画面,也是一种幸福。东山魁夷在画集里用文字描绘了晴天映衬下的艳艳红叶,并写道:
「しかし、ある時の旅で私は少し薄曇りの空の下に、紅葉の山の一つ一つの樹相(じゅそう)が、落着(おちつ)いた赤さで、静かに息づいている情景に心を打たれた」。そうして描いた「秋翳(しゅうえい)」はほの暗さのなかに輝きがある。こんな風景にいつか出会うことができれば▼
“但是,我在一次旅行中看到:薄薄阴云下,红叶山上一棵棵树木,寂寂的似火燃烧,静静的吐纳呼吸。那一刻,我被这一幕打动了”。从他由此创作的画作《秋翳》中,可以在昏暗的一片里见得点点光辉。如果我也能有机会遇见这样的美景就好了。
気がつくともう晩秋で、おとといは東京でも木枯らし1号が吹いた。舞い落ちていく葉を見ていると、寂しげなのに、どこか楽しげでもある。その上を歩くとサクサクという秋の音がする▼
注意到时,已然晚秋。即使在东京,秋风也于前天初来。看见飞落的树叶,有缕缕寂寞,却也有丝丝愉悦。踏上落叶,能听到沙沙作响的秋声。
フランスの詩人ルミ・ド・グールモンに、恋人に呼びかける連作がある。「落葉」と題した一編は、〈シモオン、木の葉の散つた森へ行かう〉と始まる。そして〈シモオン、お前は好きか、落葉ふむ足音を?〉の言葉を何度も繰り返す▼
法国诗人雷·德·古尔蒙创作了一部呼唤爱人的诗集。在一篇题为《死叶》的作品中,他以“西茉纳,到林中去吧,树叶已飘落了”开篇,不断重复:“西茉纳,你爱死叶上的步履声吗?”。(戴望舒译)
〈夕べ、落葉のすがたはさびしい/風に吹き散らされる時落葉はやさしく叫ぶ!〉(堀口大学訳)。ひとりで歩くのも、誰かと歩くのもいい。朝に冬を感じ、昼に暖かさを楽しむ。そんな贅沢(ぜいたく)な季節である。
“傍晚,落叶影寂寂;随风飞舞,落叶轻声低语”(堀口大学译)。独行或同行皆是趣味。早晨感受冬天,中午享受温暖,这就是如此一个奢侈的季节啊。
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木の葉の色づきにも順番があって、毎日街路樹(がいろじゅ)を眺めていると、紅葉のリレーのようだ。サクラの葉が散ったと思うと、ハナミズキの葉がワインレッドに染まっている。その木も寂しくなった今はイチョウの黄色に目を奪われる▼
树叶染色也有其自身的顺序。每天眺望街道两旁的树木,宛如红叶的接力。樱花树叶一散,四照花的叶子便染上了酒红。如今,银杏的金黄夺人瞩目,衬得萧疏的四照花都失了颜色。
絵のように美しい。口をついて出てくる紋切り型(もんきりがた)の表現に真理がある。画家たちが切り取りそうな、そんな一瞬を目にした幸福である。東山魁夷(ひがしやまかいい)が画集に添えた文で、晴れた日の紅葉の鮮やかさを述べたあとに、こう続けていた▼
“美如画卷”这种千篇一律的赞美的确有它的道理。能亲眼看见连画家都想勾勒的画面,也是一种幸福。东山魁夷在画集里用文字描绘了晴天映衬下的艳艳红叶,并写道:
「しかし、ある時の旅で私は少し薄曇りの空の下に、紅葉の山の一つ一つの樹相(じゅそう)が、落着(おちつ)いた赤さで、静かに息づいている情景に心を打たれた」。そうして描いた「秋翳(しゅうえい)」はほの暗さのなかに輝きがある。こんな風景にいつか出会うことができれば▼
“但是,我在一次旅行中看到:薄薄阴云下,红叶山上一棵棵树木,寂寂的似火燃烧,静静的吐纳呼吸。那一刻,我被这一幕打动了”。从他由此创作的画作《秋翳》中,可以在昏暗的一片里见得点点光辉。如果我也能有机会遇见这样的美景就好了。
気がつくともう晩秋で、おとといは東京でも木枯らし1号が吹いた。舞い落ちていく葉を見ていると、寂しげなのに、どこか楽しげでもある。その上を歩くとサクサクという秋の音がする▼
注意到时,已然晚秋。即使在东京,秋风也于前天初来。看见飞落的树叶,有缕缕寂寞,却也有丝丝愉悦。踏上落叶,能听到沙沙作响的秋声。
フランスの詩人ルミ・ド・グールモンに、恋人に呼びかける連作がある。「落葉」と題した一編は、〈シモオン、木の葉の散つた森へ行かう〉と始まる。そして〈シモオン、お前は好きか、落葉ふむ足音を?〉の言葉を何度も繰り返す▼
法国诗人雷·德·古尔蒙创作了一部呼唤爱人的诗集。在一篇题为《死叶》的作品中,他以“西茉纳,到林中去吧,树叶已飘落了”开篇,不断重复:“西茉纳,你爱死叶上的步履声吗?”。(戴望舒译)
〈夕べ、落葉のすがたはさびしい/風に吹き散らされる時落葉はやさしく叫ぶ!〉(堀口大学訳)。ひとりで歩くのも、誰かと歩くのもいい。朝に冬を感じ、昼に暖かさを楽しむ。そんな贅沢(ぜいたく)な季節である。
“傍晚,落叶影寂寂;随风飞舞,落叶轻声低语”(堀口大学译)。独行或同行皆是趣味。早晨感受冬天,中午享受温暖,这就是如此一个奢侈的季节啊。
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