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ルカの福音書10章25節~37節_北澤牧師

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「あなたはどう読んでいますか」
①きょうの聖書箇所は、当時の宗教指導者の一人が、「イエスを試そう」という、実に陰湿な悪意を持ちながら、
主イエス・キリストに近づいていった。そのときのことを記しています。
・この宗教指導者は、旧約聖書の専門家でした。
彼は、主イエスに、このように質問します。
→「先生、何をしたら、永遠のいのちを受け継ぐことができるでしょうか。」
・この質問は、単刀直入で、一見とてもいい質問のように聞こえます。
しかし、この一見すばらしい質問の、その内容を注意深く見てゆきますと・・当時の古代イスラエルの
宗教指導者たち独特の、ずれた信仰観がにじみ出ています。 
・彼は、ここで、先ず「何をしたら・・」と言い出します。 
・この言い方から、彼の考えている信仰観が、現代の牧師たちの信仰観とは大きく違っていることがわかります。 
どうやら彼は、私たちの日頃の行いこそが神に認められるか、否かを決めること・・そう考えているようです。
・また、彼は、そのあとに、「受け継ぐ」とも言っています。
これもまた、古代イスラエルの宗教指導者らしいところです。
 
・つまり彼は、信仰というのは、受け継ぐもの。 血筋とか、選ばれた民族であるとか、そういうことが、
決定的に大事な事。そのように考えているようです。
・これに対し、主イエスは、「あなたは全然わかっていない。 あなたのその質問自体が、大きく的はずれです。」そんな風には言われませんでした。 
・主は、この人に、次のように聞き返したのでした。
 → :26「律法には何と書いてありますか。 あなたはどう読んでいますか。」
・逆に質問されてしまったこの人は旧約聖書の専門家でしたので、論争には自信がありました。
ですから、彼は心の中ここでこう思ったに違いありません。「よしよし食いついて来たぞ・・!」 
・そこで彼は胸を張ってこう答えます。
聖書には、「『あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、力を尽くし、知性を尽くして、あなたの神を愛しなさい』『また、あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい』とあります。」
・さすが専門家。旧約聖書を二つの聖句で、みごとにまとめ、そして、堂々と答えたのでした。 
この答えは100満点!・・と、誰もが思いそうになるところです。
・しかし、よくよく考えてみますと・・、この専門家の答えは100点満点ではなく、本当は、その半分の
50点というところが妥当なところではないでしょうか・・
・といいますのは、主イエスは、ここで、二つの質問をされたのでしたが、この人は、その二つの質問の内、
一つ目の質問だけにしか答えていないからです。
・彼が胸を張って答えたのは、前半の「律法には何と書いてありますか」という部分についてだけでした。
つまり、彼が答えたのは「旧約聖書には、何が書いてあるのですか」という質問への答えだけだったのです。
・彼は専門家でしたから、聖書に何が書いてあるのか、こういう質問に答えるのは得意でした。
ですから、最初の問いには見事に答えることができたのです。   
・しかし、よくよく考えてみますと・・そういう知識を持っていること自体に、何か、信仰的価値がある
のでしょうか・・。 
・よくよく考えてみますと、そのような知識がある、というだけでは、はっきり申しまして、ほとんど
何の価値もありません。
・その逆に、「聖書知識だけある。」このことの弊害ならいくつもあります。 
・自分は聖書をよく知っているという思いがあるために、聞く耳が弱くなる、こういう現象もその一つです。 
・ですから、「自分は聖書を知っている」と思い始めるということはなかなか怖い事なのです。 
いつの間にか高慢になってしまい、聞く耳が弱まってしまうからです。
・また、もっと怖いのは、「知っている」という、その知識が、信仰の代わりになってしまうことです。
その知識が、信仰そのものと、すり替わってしまうことです。
・大事なのは、その聖書の言葉を、その人が、どのように読んでいるのか・・ここが肝心なところです。
 しかし、彼は、その主イエス・キリストのその問いにはまったく答えなかったのです。
・なぜ、彼がこの質問に沈黙していたのかといいますと・・ まさか、「私はただ知識として読んでいるだけ
です。」とは、言いにくかった・・また、まさか、「聖書は人生の、参考書として読んでいるだけです。」とも
言えず‥また、まさか、「私は別に、聖書に教えられている、その生き方を実行するつもりで読んでいるのではありません」とも、言えなかったからです。
・この人は、頭の切れる人だったと思います。彼は、自分が質問の前半にしか答えていないというそのことは
自覚していたようです。 ですから、彼は、とても落ち着かなかったに違いありません。
「半分しか答えていない、そのことがばれなければよいが・・」と、内心どきどきしていたに違いありません。
・案の定、主イエスはその彼に向かって「あなたの答えは正しい。」と言われた後に、こう付け加えるのでした。
「それを実行しなさい。そうすれば、いのちを得ます。」
②この言葉を聞いた、この旧約聖書の専門家は、「あっ、気が付かれてしまった。このままいけば負けてしまう」
と激しく動揺したことでしょう。 
・そして、その動揺を隠すように、彼は、「では、その隣人とはだれですか」と、問題を逸らすように、主イエスに逆質問するのでした。 
・そうすれば問題がそれて、自分の優位が保てるかもしれないと思ったのでしょう・・。
・この時の彼の心境について、ルカはこう伝えています。→「彼は自分が正しいことを示そうとして・・」
実に鋭い説明です。 新共同訳聖書は、ここを「自分を正当化しようとして」と訳しました。
・この福音書の記事を記したルカは、大変洞察力のある医者でした。ですから、ルカは、この専門家の心の内を
見抜いて、それを見事に表現したのです。 →29節 「しかし、彼は、自分が正しい事を示そうとして、
イエスに言った。『では、私の隣人とはだれですか。』
・この「自分が正しい事を示そうとして・・」こういう動機で、私たちも、言葉を発してしまうことがある
のではないでしょうか・・これは、本当に気を付けなければならないことだと思います・・。
・しかしこの、自分の正しさを示そうとして、話を逸らそうとした旧約聖書の専門家のその質問を、主イエス・キリストはさえぎりませんでした。 それどころか、ここで、主は、この後、世界中の人々を励ますことに
なってゆく、一つの譬え話、「よきサマリア人の譬」を語られるのでした。
・この超有名な譬え話は、要約するとこのような話です。
エルサレムからエリコという街まで行く道は怪しい道でした。
一人の旅人は、案の定、その街道で強盗に襲われ、着物をはぎ取られ、殴られ、半殺しにされてしまいます。
・そして、この旅人が道端で呻いていると・・そこに、丁度祭司が通りかかったのでした。
人のあるべきその生き方を説いている祭司ですから、きっとこの死にかけている人を助けるに違いない、
そう思われたのですが・・何と、その祭司は、死にかけている人をちらっと見ただけで、道の反対側を
通り過ぎて行くのでした。
・次にその現場を通りかかったのは、由緒ある血筋、と、人々に思われていたレビ人でした。
日本で言うと天皇家の血筋にあるような人たちです。
しかし、この由緒ある血筋の人も、祭司と同じように、道の反対側を通り過ぎて行くのでした。
・次に通りかかったのは、イスラエルの人々が軽蔑し、誰も付き合うことのなかった、サマリア人でしたが、
彼は前の二人とは違っていました。このサマリア人は、倒れ込んでいる人を見つけると、かわいそうに思い、その傷にオリーブオイルとぶどう酒を注いで包帯をし、自分が乗って来たその家畜に乗せて、町の宿屋まで
運び、そして介抱するのでした。
・このサマリア人は次の日、宿屋の主人に、現代のお金で大体2万円程を渡し「この人を介抱してあげてくだ
さい。もっと費用がかかるようでしたら私が帰りに払いますから」そう言ってその宿屋を後にするのでした。
③ところで皆さんは、「よきサマリア人の法」という法律のことをお聞きになったことがあるでしょうか。
・飛行機に乗っている時、新幹線などに乗っている時、時々こんなアナウスが流れる時があります。
 「お客様の中で、お医者様はいらっしゃるでしょうか。もしおられましたらお申出下さいます様お願い
いたします。」  救急のお願いです。 ところが、実際は名乗り出る医者は少ないようです。
・なぜ、名乗り出る医者が少ないのか、といいますと、 その最大の原因は、もし救急に失敗すると、
 後で訴えられたりして、大変なことになるなど、そういうリスクを考えてしまうからです。
そのことがブレーキになって救急する人がなかなか現れない、こういう現実があるようですが・・
・よきサマリアの法と言いますのは、そういう事にならないように・・もし、名乗り出た医師が、上手く
救急できない場合での、その医師は罰せられないという内容の法律です。
・結果は問わない。救急にチャレンジしてもらいたい。ここにこの法律の狙いがあるようです。もっともこの
法律、カナダ、アメリカ、オーストリアには施行されているそうですが日本ではまだ検討中なのだそうです。
・半殺しの目に遭って倒れている人を見た時、祭司もレビ人も見過ごしました。
 彼らはなぜ倒れた人を助けなかったのか、ですが・・
彼らは、倒れている人を助ける事、それは、人として当然なこと、と重々分かっている人たちでしたが・・。
彼らがそれを実行に移さなかったのは、もし、倒れている人を助けようとすると、リスクが高まるからでした。
・悪い事態が起こる可能性が高まるからです。
 助けよとして、この旅人を街に運び込もうとすれば・・、先ず、自分の予定が全部狂ってしまいます。
治療費を自分が払わなければならなくなるかもしれません。
・この旅人は半殺しの目に遭っていました。ですから、何より怖いのは、助けようとした人が、途中で死んで
しまった場合です。 へたをすれば、自分が犯人であると思われてしまうかもしれません。
 少なくとも、死なせてしまった何かしらの責任を取らなければならなくなるでしょう。
ですから、私たちは、倒れていた人を見過ごした彼らを、簡単には軽蔑はできないのです。
・一方、サマリア人は、自分の心に、何のブレーキもかからず、人としてすべきことを実行する人だった
のでした。 チャレンジする人であったのです。
・よきサマリア人の法というのは・・多くの医師が、このサマリア人になりやすいように、法律の面で
バックアップしようというわけです。
④話を聖書に戻します。
・主イエス・キリストがこの譬え話でご自分に挑戦してきた旧約聖書の専門家に訴えているのは何でしょうか・・
・彼は旧約聖書の専門家でしたから、人よりも聖書を読んでいました。 
ですから、彼は、聖書には何が書かれてあるのかよく知っておりました。
・また、その聖書のメッセージを要約すると、それは、神を全力で愛すること。具体的には、隣人を自分自身の愛するように愛すること。そういう者になりなさい。と語られていること」 を重々知っていました。
・しかし、愛しなさいという神さまからの御言葉は、知っているだけではまったく意味がない・・
愛することにチャレンジして初めて意味のあること・・。主は、この事を説いているわけです。
・主イエスのもとにやって来たこの聖書の専門家も、神を愛するとは何か、その知識なら十分あったわけです。
では、その知識をもって、日頃、愛することに挑戦していたのか、いいますと・・・そういう生き方をして
いる人ではなかったのです。
・知識を持っているのだから、それを始めればいいではないか・・多くの人はそう思うと思いますが・・
彼は、残念ながら、その知識を頭の中に保存していただけだったのです。
・砕けた話に置き換えますと・・、彼は、言わば、「あのお店のラーメンはとびきり美味しい」という知識が
あったのに、しかし、結局そのお店に一度も行った事がない、そういう人であったわけです。
知っているけれども、それを実行することがない人だったのです・・。
・なぜ、彼は神を愛する、その知識があるだけの人間になっていたのでしょうか・・。 主イエス・キリストは、ここで、彼がそうなってしまっている、その、元の元の原因について光を当てられたのでした。
・主イエスはここで、この人に、このような質問をされたのでした。 26節「あなたは、どう読んでいますか?・・」
・しかし、先ほど申しましたように、彼はそれについては何も答えませんでした。
 
・いわば、彼にとって、聖書は研究対象でした。ですから、残念なことに、彼は・・聖書の言葉を受けとり、
その言葉に従って日々新しく生きてゆこう、として・・それを読んでいたのではなかったのです。
そういう純な気持ちは、なかったのでした。
⑤私たちは、今、礼拝してします。 そして今、私たちは、聖書を開いて読んでいます。 
 心ある方は、その神さまからのメッセージを受け取って、きょうから始まる日々の生き方の中で、それを
実行しよう・・、そういう思いをもちながら、このメッセージをお聞きになっておられるでしょう・・
・しかし、私たちは、同時に、きょうの聖書箇所に出て来た専門家の様な読み方をしてしまう、
そういう弱さも持ち合わせているのではないでしょうか・・
・きょう私たちは、ここで、この主イエス・キリストの御言葉を心深く刻みたいと思います。
「あなたの答えは正しい。それを実行しなさい。」
・主イエス・キリストは、別の聖書箇所で、私たちに、「あなたがたは世の光です。」と励ましておられます。
今週、私たちも、隣人を自分と同じ様に愛してゆく、そのチャレンジを続けてゆきたいと思います。
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①きょうの聖書箇所は、当時の宗教指導者の一人が、「イエスを試そう」という、実に陰湿な悪意を持ちながら、
主イエス・キリストに近づいていった。そのときのことを記しています。
・この宗教指導者は、旧約聖書の専門家でした。
彼は、主イエスに、このように質問します。
→「先生、何をしたら、永遠のいのちを受け継ぐことができるでしょうか。」
・この質問は、単刀直入で、一見とてもいい質問のように聞こえます。
しかし、この一見すばらしい質問の、その内容を注意深く見てゆきますと・・当時の古代イスラエルの
宗教指導者たち独特の、ずれた信仰観がにじみ出ています。 
・彼は、ここで、先ず「何をしたら・・」と言い出します。 
・この言い方から、彼の考えている信仰観が、現代の牧師たちの信仰観とは大きく違っていることがわかります。 
どうやら彼は、私たちの日頃の行いこそが神に認められるか、否かを決めること・・そう考えているようです。
・また、彼は、そのあとに、「受け継ぐ」とも言っています。
これもまた、古代イスラエルの宗教指導者らしいところです。
 
・つまり彼は、信仰というのは、受け継ぐもの。 血筋とか、選ばれた民族であるとか、そういうことが、
決定的に大事な事。そのように考えているようです。
・これに対し、主イエスは、「あなたは全然わかっていない。 あなたのその質問自体が、大きく的はずれです。」そんな風には言われませんでした。 
・主は、この人に、次のように聞き返したのでした。
 → :26「律法には何と書いてありますか。 あなたはどう読んでいますか。」
・逆に質問されてしまったこの人は旧約聖書の専門家でしたので、論争には自信がありました。
ですから、彼は心の中ここでこう思ったに違いありません。「よしよし食いついて来たぞ・・!」 
・そこで彼は胸を張ってこう答えます。
聖書には、「『あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、力を尽くし、知性を尽くして、あなたの神を愛しなさい』『また、あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい』とあります。」
・さすが専門家。旧約聖書を二つの聖句で、みごとにまとめ、そして、堂々と答えたのでした。 
この答えは100満点!・・と、誰もが思いそうになるところです。
・しかし、よくよく考えてみますと・・、この専門家の答えは100点満点ではなく、本当は、その半分の
50点というところが妥当なところではないでしょうか・・
・といいますのは、主イエスは、ここで、二つの質問をされたのでしたが、この人は、その二つの質問の内、
一つ目の質問だけにしか答えていないからです。
・彼が胸を張って答えたのは、前半の「律法には何と書いてありますか」という部分についてだけでした。
つまり、彼が答えたのは「旧約聖書には、何が書いてあるのですか」という質問への答えだけだったのです。
・彼は専門家でしたから、聖書に何が書いてあるのか、こういう質問に答えるのは得意でした。
ですから、最初の問いには見事に答えることができたのです。   
・しかし、よくよく考えてみますと・・そういう知識を持っていること自体に、何か、信仰的価値がある
のでしょうか・・。 
・よくよく考えてみますと、そのような知識がある、というだけでは、はっきり申しまして、ほとんど
何の価値もありません。
・その逆に、「聖書知識だけある。」このことの弊害ならいくつもあります。 
・自分は聖書をよく知っているという思いがあるために、聞く耳が弱くなる、こういう現象もその一つです。 
・ですから、「自分は聖書を知っている」と思い始めるということはなかなか怖い事なのです。 
いつの間にか高慢になってしまい、聞く耳が弱まってしまうからです。
・また、もっと怖いのは、「知っている」という、その知識が、信仰の代わりになってしまうことです。
その知識が、信仰そのものと、すり替わってしまうことです。
・大事なのは、その聖書の言葉を、その人が、どのように読んでいるのか・・ここが肝心なところです。
 しかし、彼は、その主イエス・キリストのその問いにはまったく答えなかったのです。
・なぜ、彼がこの質問に沈黙していたのかといいますと・・ まさか、「私はただ知識として読んでいるだけ
です。」とは、言いにくかった・・また、まさか、「聖書は人生の、参考書として読んでいるだけです。」とも
言えず‥また、まさか、「私は別に、聖書に教えられている、その生き方を実行するつもりで読んでいるのではありません」とも、言えなかったからです。
・この人は、頭の切れる人だったと思います。彼は、自分が質問の前半にしか答えていないというそのことは
自覚していたようです。 ですから、彼は、とても落ち着かなかったに違いありません。
「半分しか答えていない、そのことがばれなければよいが・・」と、内心どきどきしていたに違いありません。
・案の定、主イエスはその彼に向かって「あなたの答えは正しい。」と言われた後に、こう付け加えるのでした。
「それを実行しなさい。そうすれば、いのちを得ます。」
②この言葉を聞いた、この旧約聖書の専門家は、「あっ、気が付かれてしまった。このままいけば負けてしまう」
と激しく動揺したことでしょう。 
・そして、その動揺を隠すように、彼は、「では、その隣人とはだれですか」と、問題を逸らすように、主イエスに逆質問するのでした。 
・そうすれば問題がそれて、自分の優位が保てるかもしれないと思ったのでしょう・・。
・この時の彼の心境について、ルカはこう伝えています。→「彼は自分が正しいことを示そうとして・・」
実に鋭い説明です。 新共同訳聖書は、ここを「自分を正当化しようとして」と訳しました。
・この福音書の記事を記したルカは、大変洞察力のある医者でした。ですから、ルカは、この専門家の心の内を
見抜いて、それを見事に表現したのです。 →29節 「しかし、彼は、自分が正しい事を示そうとして、
イエスに言った。『では、私の隣人とはだれですか。』
・この「自分が正しい事を示そうとして・・」こういう動機で、私たちも、言葉を発してしまうことがある
のではないでしょうか・・これは、本当に気を付けなければならないことだと思います・・。
・しかしこの、自分の正しさを示そうとして、話を逸らそうとした旧約聖書の専門家のその質問を、主イエス・キリストはさえぎりませんでした。 それどころか、ここで、主は、この後、世界中の人々を励ますことに
なってゆく、一つの譬え話、「よきサマリア人の譬」を語られるのでした。
・この超有名な譬え話は、要約するとこのような話です。
エルサレムからエリコという街まで行く道は怪しい道でした。
一人の旅人は、案の定、その街道で強盗に襲われ、着物をはぎ取られ、殴られ、半殺しにされてしまいます。
・そして、この旅人が道端で呻いていると・・そこに、丁度祭司が通りかかったのでした。
人のあるべきその生き方を説いている祭司ですから、きっとこの死にかけている人を助けるに違いない、
そう思われたのですが・・何と、その祭司は、死にかけている人をちらっと見ただけで、道の反対側を
通り過ぎて行くのでした。
・次にその現場を通りかかったのは、由緒ある血筋、と、人々に思われていたレビ人でした。
日本で言うと天皇家の血筋にあるような人たちです。
しかし、この由緒ある血筋の人も、祭司と同じように、道の反対側を通り過ぎて行くのでした。
・次に通りかかったのは、イスラエルの人々が軽蔑し、誰も付き合うことのなかった、サマリア人でしたが、
彼は前の二人とは違っていました。このサマリア人は、倒れ込んでいる人を見つけると、かわいそうに思い、その傷にオリーブオイルとぶどう酒を注いで包帯をし、自分が乗って来たその家畜に乗せて、町の宿屋まで
運び、そして介抱するのでした。
・このサマリア人は次の日、宿屋の主人に、現代のお金で大体2万円程を渡し「この人を介抱してあげてくだ
さい。もっと費用がかかるようでしたら私が帰りに払いますから」そう言ってその宿屋を後にするのでした。
③ところで皆さんは、「よきサマリア人の法」という法律のことをお聞きになったことがあるでしょうか。
・飛行機に乗っている時、新幹線などに乗っている時、時々こんなアナウスが流れる時があります。
 「お客様の中で、お医者様はいらっしゃるでしょうか。もしおられましたらお申出下さいます様お願い
いたします。」  救急のお願いです。 ところが、実際は名乗り出る医者は少ないようです。
・なぜ、名乗り出る医者が少ないのか、といいますと、 その最大の原因は、もし救急に失敗すると、
 後で訴えられたりして、大変なことになるなど、そういうリスクを考えてしまうからです。
そのことがブレーキになって救急する人がなかなか現れない、こういう現実があるようですが・・
・よきサマリアの法と言いますのは、そういう事にならないように・・もし、名乗り出た医師が、上手く
救急できない場合での、その医師は罰せられないという内容の法律です。
・結果は問わない。救急にチャレンジしてもらいたい。ここにこの法律の狙いがあるようです。もっともこの
法律、カナダ、アメリカ、オーストリアには施行されているそうですが日本ではまだ検討中なのだそうです。
・半殺しの目に遭って倒れている人を見た時、祭司もレビ人も見過ごしました。
 彼らはなぜ倒れた人を助けなかったのか、ですが・・
彼らは、倒れている人を助ける事、それは、人として当然なこと、と重々分かっている人たちでしたが・・。
彼らがそれを実行に移さなかったのは、もし、倒れている人を助けようとすると、リスクが高まるからでした。
・悪い事態が起こる可能性が高まるからです。
 助けよとして、この旅人を街に運び込もうとすれば・・、先ず、自分の予定が全部狂ってしまいます。
治療費を自分が払わなければならなくなるかもしれません。
・この旅人は半殺しの目に遭っていました。ですから、何より怖いのは、助けようとした人が、途中で死んで
しまった場合です。 へたをすれば、自分が犯人であると思われてしまうかもしれません。
 少なくとも、死なせてしまった何かしらの責任を取らなければならなくなるでしょう。
ですから、私たちは、倒れていた人を見過ごした彼らを、簡単には軽蔑はできないのです。
・一方、サマリア人は、自分の心に、何のブレーキもかからず、人としてすべきことを実行する人だった
のでした。 チャレンジする人であったのです。
・よきサマリア人の法というのは・・多くの医師が、このサマリア人になりやすいように、法律の面で
バックアップしようというわけです。
④話を聖書に戻します。
・主イエス・キリストがこの譬え話でご自分に挑戦してきた旧約聖書の専門家に訴えているのは何でしょうか・・
・彼は旧約聖書の専門家でしたから、人よりも聖書を読んでいました。 
ですから、彼は、聖書には何が書かれてあるのかよく知っておりました。
・また、その聖書のメッセージを要約すると、それは、神を全力で愛すること。具体的には、隣人を自分自身の愛するように愛すること。そういう者になりなさい。と語られていること」 を重々知っていました。
・しかし、愛しなさいという神さまからの御言葉は、知っているだけではまったく意味がない・・
愛することにチャレンジして初めて意味のあること・・。主は、この事を説いているわけです。
・主イエスのもとにやって来たこの聖書の専門家も、神を愛するとは何か、その知識なら十分あったわけです。
では、その知識をもって、日頃、愛することに挑戦していたのか、いいますと・・・そういう生き方をして
いる人ではなかったのです。
・知識を持っているのだから、それを始めればいいではないか・・多くの人はそう思うと思いますが・・
彼は、残念ながら、その知識を頭の中に保存していただけだったのです。
・砕けた話に置き換えますと・・、彼は、言わば、「あのお店のラーメンはとびきり美味しい」という知識が
あったのに、しかし、結局そのお店に一度も行った事がない、そういう人であったわけです。
知っているけれども、それを実行することがない人だったのです・・。
・なぜ、彼は神を愛する、その知識があるだけの人間になっていたのでしょうか・・。 主イエス・キリストは、ここで、彼がそうなってしまっている、その、元の元の原因について光を当てられたのでした。
・主イエスはここで、この人に、このような質問をされたのでした。 26節「あなたは、どう読んでいますか?・・」
・しかし、先ほど申しましたように、彼はそれについては何も答えませんでした。
 
・いわば、彼にとって、聖書は研究対象でした。ですから、残念なことに、彼は・・聖書の言葉を受けとり、
その言葉に従って日々新しく生きてゆこう、として・・それを読んでいたのではなかったのです。
そういう純な気持ちは、なかったのでした。
⑤私たちは、今、礼拝してします。 そして今、私たちは、聖書を開いて読んでいます。 
 心ある方は、その神さまからのメッセージを受け取って、きょうから始まる日々の生き方の中で、それを
実行しよう・・、そういう思いをもちながら、このメッセージをお聞きになっておられるでしょう・・
・しかし、私たちは、同時に、きょうの聖書箇所に出て来た専門家の様な読み方をしてしまう、
そういう弱さも持ち合わせているのではないでしょうか・・
・きょう私たちは、ここで、この主イエス・キリストの御言葉を心深く刻みたいと思います。
「あなたの答えは正しい。それを実行しなさい。」
・主イエス・キリストは、別の聖書箇所で、私たちに、「あなたがたは世の光です。」と励ましておられます。
今週、私たちも、隣人を自分と同じ様に愛してゆく、そのチャレンジを続けてゆきたいと思います。
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